極限思考

哲学、宗教を超えた新たな思考への探求

生命とは何か?

「生き物を大切にしましょう」とか「僕らはみんな生きている」的な標語はよくあるけど、生きているとか命とかって結局なんなのかよくわからない。

 

とりあえず生物の定義とは

Wikiによると、

生物が無生物から区別される特徴としては、自己増殖能力エネルギー変換能力恒常性ホメオスタシス維持能力自己と外界との明確な隔離などが挙げられる。しかし、この区分は例えば、ウイルスウイロイドのような、明らかに生物との関連性があるがこれらの特徴をすべて満たさない存在までを区分することが出来ない。このことから言っても、生物と無生物を完全に区分することは困難なことである。

ということらしい。

 

こんなことを見てもなんで命を大切にしないといけないのかよくわからない。

実際には、そこらに落ちている石を蹴りあげるのと猫を蹴りあげるのは大分違う。

 

この差が生命というものが存在するかどうかなのだろうか。

 

石は動かないし存在価値を見出すことも難しい、それはもちろんそうだ。

 

では、石ではなくミニ四駆ではどうだろう?

 

電池を積めば動くし、走って楽しい。だけどミニ四駆に生命があるという人はいないだろう。しかし、自分で作ったミニ四駆をそこらに落ちている石のように蹴り上げるのは心苦しいと思う。

 

生命がこの当たりに影響するものなのだろうか。

 

もっと生命があるものに近づいたらどうなるのだろうか。

 

先程は、ミニ四駆だったが今度は最先端技術で作られた本物の猫と見分けが付かないロボットの猫だとどうなるのだろう。あなたが猫に対して行う干渉に対して、完全に猫と同様の反応を行う。

知能はプログラミングされたものだが、AIを搭載しており個体差もある。

各ロボットの猫はあなたの顔を認識し、あなたの行動によって学習し唯一無二のAIを持つようになる。

 

このロボットをあなたはそこらに落ちている石のように蹴り上げることは出来るだろうか?

もちろん出来ないと思う。

 

しかし、ほとんど石と変わらない無機物質で出来ている。

このロボットの猫に生命であるのだろうか?

 

この問題が今回の問題提起である。 

 

これでも生命ではないという人には、この例を考えて欲しい。

 

あなたが飼っている猫が交通事故に遭い、脳以外の部位の損傷が激しく神経を猫用の人工身体に接続することによって助かった。

ほとんど無機物質で構成されているサイボーグの猫とロボットの猫と違いは無いはずだろう。

 

この場合では生命は保たれているのではないだろうか。

そして、ロボットの猫の生命を否定すること難しいのではないだろうか。

 

それでも、脳があるのかどうかが重要なのだという考え方もあるだろう。

 

では、脳疾患がある患者のために正常な脳を人工的に作り出せる技術が確立したとするとどうだろうか。その技術では精密なスキャンを行い、有機物質の完全な再構成によって保たれた記憶も全く同じままで移植することが出来る。

 

その際は、移植された患者にはもちろん今まで何ら変わらない状態なので、生命は保たれているだろう。例えばこの患者が全身サイボーグであれば、身体は10体でも100体でも作り出すことが出来るだろう。人工的に作られた脳も同様に作り出すことが出来たとしたら、その脳と身体を組み合わすことで数多の生命を作ることが可能なのだろうか。

 

ここで挙げた問題はこれから先に起こらないとは言えない問題だろう。

以上を第一回の極限思考としてみたい。

 

もしよろしければ、気軽にあなたなりの考えをコメントして下さい。